テンポス精神 ~総合編17ヶ条~

「テンポスの社員にしか出来ないこと」

引き上げた食器を磨いてる人に聞いた。
「あなたの仕事は何をしているんですか?」
「私は閉店した店から、食器やら冷蔵庫やらを、引き上げてきて、洗って修理しています」

店で食器に値札を貼っている人に聞いた。
「あなたの仕事はなんですか?」
「私は、引き上げてきた食器に値札を貼って、陳列しています」

店内でお客様に商品の説明をしている人に聞いた。
「あなたの仕事はなんですか?」
「私は店員です。販売の仕事です」
どの人の答えも間違ってはいない。

店頭に立つとお客様が、ニコニコして「こんなに良いものが、この値段だなんて」と毎日何人かが言ってくれる。

食器を洗っている人も、値札を付けている人も、売る係りの人も、 よぅく考えてみてくれ。
もし、私たちが閉店した店に行って、ホコリだらけのうす汚れた食器に目をくれずに帰って来たら、その食器は踏んづけられて、粉々になってゴミになる。
閉店した店の厨房は腐った物が散らばっていて、慣れないと吐き気がする。
その店で、貴方のその手が食器を持ってきたから、店頭に並びお客さんが使ってくれる。

私達は「物に生命を与える」仕事をしている。
名医が心臓の手術をして、家族が涙を流して感謝する。
まさに!私達の仕事は物に生命を与えているといえる。

さあ帰って、友達や家族に言ってくれ「私の仕事は医者と同じだと!」

第一条 ニコニコ・テキパキ・キッチリ・気配り・向上心 第一条 ニコニコ・テキパキ・キッチリ・気配り・向上心

自分が遠くにいてもお客様が見えたら、店内を走って近づいて大きな声で感じ良く「いらっしゃいませ」とニコニコ挨拶しろ。また「ありがとうございました」と聞こえたらお客様が見えなくても一緒になって言え。
掃除の手は早いか、値付けは早いか、陳列は早いかを常に他人と比べて確かめ、人より手が遅かったら家に帰って練習して来い。これを「ニコニコ・テキパキ」という。
仕事は手順通りやれ。手抜きをするな、きっちりやれ。そこそこで良いと考えるな。
絶対に「その場しのぎ」の癖をつけてはならない。
来店されたお客様の子供になったつもりで商品を探し出せ、他の店にも聞いてみろ。納品したら上手に使っているか電話して、近くまで行ったら、必ず立ち寄り、納品した商品を見て来い。これが「きっちり・気配り」だ。
給料を上げよう。仕事を覚えよう。技術を身につけようとするなら、自分で勉強しろ。休みの日には他店を見に行け。そこの店長に色々と話しを聞いてこい。途中で本を買って店で応用してみろ。
これを「向上心」のある行動という。

第二条 (儲けろ・儲けるな)百姓テンポス«力耕吾不欺(りきこうわれをあざむかず)» 第二条 (儲けろ・儲けるな)百姓テンポス«力耕吾不欺(りきこうわれをあざむかず)»

安い物を見つけて高く売って儲けてはいけない。安い物を見つけたら安いまま売れ。知識と技術を身につけてコストを下げ、しっかりとしたアフターサービスと無理だと思われる高い目標に挑んで、その努力から生まれた少しの利益で良い。楽して儲けたい者は我社にいない。我々はそれ程の者ではないだろう。
リサイクル業はなるべく高く買って赤字にはならない範囲で出来る限り安く売る商売である。
さやを抜いて儲ける事で喜ぶような癖をつけるな。
百姓は炎天下、汗を流して畑を耕しても、水不足・病害虫にやられたりする。何年かに1回の豊作になっても、種を蒔いて耕した分しか実らない。それで良い。
日本全国を見渡せば、一発当ててものすごい稼ぎをする会社がある。我々テンポス人はそれを羨んではいけない。百姓なんだから、耕した分だけ実るだけよ。だが、この17ヶ条を忘れないで仕事をしていれば、いつか花咲く時が来る。慌てるな。不安に思うな。

【事例】

ホテルの部屋にある冷蔵庫のウーロン茶200円。ふざけるんじゃない。
このホテルに泊まってくれてありがとう、ウーロン茶90円。テンポスならこうする。
独占企業のガス会社。ガスを使ってくれてありがとう、工事代は他社より安くしますよ、テンポスならそうする。
実際は他社より高い工事代。
おーい、みんな喜べ、競争相手はマヌケばっかり。

第三条 金の使い方 第三条 金の使い方

車が必要な時、車がなくてもやれる方法を全て試せ。
それでもだめなら貰って来い、拾ってこい。最後に買え。「当然中古!」
店が暗いからと言って照明を増やせば店が明るくなるものではない。ホコリだらけの商品や雑然とした陳列では、いくら照明を増やしても店が明るくなったといえるのか。君は店を明るくしたかったのではなく、金を使って照明器具をつけたかっただけじゃないか。
人手が足りないと思ったときは、動きが遅いか、二度手間になってないか考えろ。やり方を変えろ。訓練をせよ。人手を増やすな。物に頼るな。銭を使うな。

第四条 フリーエージェント・ドラフト制 第四条 フリーエージェント・ドラフト制

上司が嫌なら店を替われ、そこでも嫌ならまた替われ。何度でも替わってみろ。
テンポスはフリーエージェント制だから。だがそのうち気づくだろう。理想的な上司や職場などないということを。自分で切り開いたところにしか「やりがい」はないということを。
店長は、気に入らない使いにくい部下は他の店に放り出せ。テンポスはドラフト制だから自分の納得のいくまで何回でも人を入れ替えろ。
だがそのうち気づくだろう理想の部下などいないということを。

【事例】

40年勤め上げたひとが、第二人生に、テンポスに、就職してくることがある。
半分が、1ヶ月で辞めていく。
定年後、4~5回転職して、テンポスにくる人は、殆ど辞めない。
探し求めた結果、適職は無いことに気付き、分をわきまえてくるから、辞めない。
選択肢のあると思っているうちは、落ち着かなくて、辞めてしまう。
分をわきまえて選択肢が無いとわかると、辞めなくなる。
選択肢がある人と無い人では、どちらが幸せと言えるか。
奴隷と自由のある人では、どちらが幸せか。
無期懲役の囚人には、幸せは無いのか。
選択肢が多いということは、重要ではあるが、少ないからといってそのまま不幸というわけでもない。
無期懲役の囚人が、刑務所で家具職人になって、立派な家具を作るのと、サラリーマンで、働いて家具職人になって10年、「 何のプロですか?」、ただの家具職人でしょ!
「夜は何して過ごしましたか?」「休みは何して過ごしましたか?」と問われた時に、胸を張って、充実した人生を送って来たと言えるか。パチンコやって、呑んで、たまにどっか行って来て、懲役の囚人と比べて、何も違わない人生を過ごしていないか。
選択肢があっても、活かしきれないと、懲役の囚人と同じ人生を、過ごしている事になる。
アイエンガー教授によると、今でもインドでは、70%以上が、親の決めた人と見合い結婚であるそうだ。
幸福度
見合い結婚の人の結婚前の幸福度は、40%である
恋愛結婚の人の結婚前の幸福度は80%である
結婚1年後。
見合い結婚の人の幸福度は、65%である
恋愛結婚の人の幸福度は35%である
幸せになるために、結婚をするなら、恋愛で無い方が良い、選択出来ない方が良い。
選択出来る方が幸せだと主張するなら、懲役の囚人のような、生活をしていては、いけない。

第五条 自分を大切にせよ 第五条 自分を大切にせよ

会社に不満を持っている人へ、仕事が面白くない人へ。早く仕事を辞めなさい。辞める前に一つだけやれ。6ヶ月後に辞めるとしたら6ヶ月間で現在やっている仕事の目標を作ってみよ。客数を2倍にするとか売上を3割アップしてみるとか、会社のノルマとは関係無く自分で設定してみよ。
その目標に到達出来た時は辞めようと決めておけ。達成した時は今までのなさけない自分ではなくなっている。
上司が悪い、会社が悪い、認めてくれない等と思わなくなる。今不満を持っているあなたの状態はこの10年間であなたがつくりあげたものです。
これからのあなたは素晴らしい人生をおくることができるのですよ。

【事例(あさくま店長会議)】

富士店はこの半年、山田店長の頑張りで前年比107%の売上である(全国平均売上前年比97%)。
社長「山田君、この3ヶ月前年比97・95・92%と連続してダウンしているが どういう訳だ」
山田「はい、400m向こうにビリーハウスが出来まして、客をとられてしまいました」
社「待てよ、山田。ビリーハウスのせいで売上が落ちたのか」
山「そうです」
社「毎年、青森のりんご園で台風による被害がTVで放映されるのは知っているよな。大風で落ちたりんごになぜ落ちたのか聞いてみな。りんごは言うよ。風が強くて 落ちました……と。山田は何で落ちたんだ」
山「ビリーハウスのせいで落ちました」
りんご「風のせいで落ちました」
社「山田よ、お前は今日まで自分は人間だと思っていただろうが、本当のところはりんごだったんだ。もしお前が人間だったら、「なぜ売上が落ちたんだ」と聞いたらどう答えなくてはいけないか

ビリー対策

  1. ビリーのオープン日に合わせて、あさくまの顧客リストに基づいたダイレクトメールを出す
  2. 当日割引をする
  3. 1週間店内推奨販売に力を入れる
  4. プレゼントを用意する etc…

どれもこれも企画が甘く、不徹底の為効果がなく、売上が落ちてしまいました。
この答えは私の打った手が悪かったということがわかるから、りんごではなく、人間だと言える。
およそ人のせいでこうなったと思った途端に貴方はりんごである。
現在の自分はすべて自分が作り上げた。人のせいでそうなるはずがない。
仕事も 友人関係も家族関係も現在幸福か不幸かもすべて自分に原因がある。
人のせいにしているということは問題を正面から捉えて対策を練ろうとしないで、かっても、今も、これからも逃げ続ける人生だ。

第六条 部下の事。人を好きになれ 第六条 部下の事。人を好きになれ

店長は、部下の顔色は良いか、張切っているか、悩んでいる様子はないか、常に気を配り、「やりがい」のある職場づくりを目指せ。24時間部下の事ばかり考えろ。
ちょっとした心使いを感謝され、お客からお礼を言われた喜び、自分が仕入れた物が売れた時、陳列を変えてみたら売れた時、嬉しい。
テンポスの店では嬉しい事、喜べる事がいっぱいある。それを経験させ、部下と一緒に喜べる人になれ。

【事例1】

花が好きな人は植えて、水をやり、肥料をやり、雑草を抜く。しかし暑い日が続き、枯れてしまい、がっかりする。こんなに一生懸命、面倒を見たのに、などと花を責めない。
ある日根元からかわいい芽が出ているのを見つけた時の喜びと言ったらない。
ひたすら花の命が全うされるのが嬉しい。“人が好きなら同じ事である。”
成長を喜び、約束を守らない社員を責めてはいけない。がっかりしたことを伝えなさい。

【事例2(上級難度)】

木は冬に葉を落として、極寒に耐え、春には青々と芽を吹く。本体が生き残る為に葉を落とす。
企業も生き残る為に躊躇なく社員の首をきれ。忙しいからと簡単に人を採用し、増やしている店がある。
以前の人件費比率に戻す為に働きの悪い者のリストを作り、首を切れ。「採用した人を簡単に切れませんよ」などと言うんじゃない。すぐやれ。
効率も考えないで人を採用しているお前のような店長が本体を枯らしてしまうのだ。
こうなる前に社員にビジョンを語り、目標を与え、怠けたくなる社員に折に触れて枯葉の話をし、「落葉にならないよう、私が手塩にかけて貴方を育てますから安心して下さい。」
本人の為に連日アプローチトークを教え、見込み客管理をし、クロージングトークを練習をし、商品説明トークをやり、店長がクタクタになって、それでも力がついて来ない人を首にする時、天に向かって胸を張って言えるか「これだけ一生懸命トレーニングをした、ケアをした。だが、自分にはこれ以上は無理であった」と。
そう言える人だけが首を切って良い。
そして首にする人の前で泣け。自分が育てられなかったことを詫びて、そこまで苦闘する店長だけが人を採用して良い。人手が足りないなんて理由で簡単に採用するな。道具じゃない。

第七条 責任 第七条 責任

遅刻したために、ビッグサイトにみんなが車で行ってしまった後から、一人で会場に行く交通費は自分で払え。不注意で問題を発生させた時、自分が損してでも、犠牲を払ってでも解決することが責任を取ると言うことである。
指示命令を受けたら、指示どおりにできていないとわかった時点で連絡し、再度指示を仰ぐ。ただしこれは初級の責任の取り方だ。上級の責任感とは、休日や夜中に地震が起きたり大雨情報が出た時に、心配になって即座に店舗に駆けつけて、一人で徹夜してでも倒れた商品を元に戻し雨水を掻き出して、翌日は何もなかったように出社することが出来るかである。

第八条 お任せ下さい。《大阪中央市場事件》自分の意思で人生を生き抜け 第八条 お任せ下さい。《大阪中央市場事件》自分の意思で人生を生き抜け

明日の午前5時よりビラまきをする事にした。当日、朝から大雨が降っていても、自転車に乗って30分かけて、びしょ濡れになってでも出社してくることが「お任せ下さい」の原点である。決して携帯電話で「今日はどうしましょうか」などと聞いてくるな。「ばか者!」

【事例】

忙しい君に急な仕事で5時までにやってくれと依頼される。君は「手一杯です」とか「無理です」と言うようなバカ社員ではないので、「わかりました」と言って、着手する。責任感もある。なんとか5時までにやり終える。ただし、この忙しいのに、とか急な仕事を入れるとスケジュールが崩れてしまうと不満は残る。
2時までにやってしまおうと自分で決めて、やり終えると仕事は大変だが、終わった時に充実感・達成感が残る。

【上級事例1】責任もってやるのと、お任せくださいの違い

新店舗をオープンする準備で、テンポスに来店した客に、店員が、客の探している商品を店内案内しながら、揃えている。
まじめに丁寧にやっている。
ただし、一つ足りない。
50がらみのその客の応対を、丁寧にするだけだからだ。
お前は客と自分の間に、見えない垣根を作っている。
垣根を超えて、客の側にいけ!
お前がその50がらみの客の倅だとしたら、どんな態度をとるんだ。
残念ながらその商品は昨日まであったんですけどなんて言わないよ。
安いものを探して、店になければ他店の在庫を調べる。
従業員集めで困ってないか。
開店の時に大勢の客が来るように、金のかからない集客方法を教えてやる。
その50がらみの親父の役に立ちたいと思うだろうよ。
今のお前は、垣根のこっち側にいて、丁寧な対応をする店員だ、倅になれよ。

【上級事例2】

「車が壊れたので買い替えたいのですが」
「新車を買うなよ」「予算いくら頂けますか」「50万だ」50万の中古車を買った君はテンポスはケチだから、50万しか出さないし、50万くらいだったら、ロクな車が買えないと不満が残る。
50万予算をもらった時に「ようし、20万の車を探してみよう」と決めて、20万で買ったら、君は20万にしてはいいのが買えたなぁと達成感・満足感に浸れる。
責任もって言われたことをキチンとやる人はいつでもやらされ感と不満が残る。
指示を自分の目標に置き換えて仕事をする人は毎日充実と満足でいっぱいである。
指示されたら、ゴールを“びっくりさせてやれ”と決めてみよ。
やり方からやる事から目標・数字だって途方もないものをやるようになる。
1年もするとまるで別の人間になっている。

第九条 自分の気持ちの優先:パート1《札幌看板事件》 第九条 自分の気持ちの優先:パート1《札幌看板事件》

良い事をすぐやらない。悪いことをすぐやめられない。会社が損をすると解っていても即座に手を打たない。
嫌な事を避けたいと思う自分の気持ちを優先させ、結局はこちらの要求を突きつけられず、相手の言いなり通りに処理してしまう。
こんな店長に、店を任せる訳にはいかない。(札幌店となりのガソリンスタンドの看板前に、当社の大型看板を札幌店敷地内に設置しろ。設置によりGS看板が見えなくなる。)ビジネスは打つべき手を打たなくてはいけないと判っていても、やりたくない自分の気持ちとついやりやすい事をやってしまう気持ちとの戦いが毎日発生する。
自分の気持ちを優先しているうちは趣味か家庭人である。

【事例1】

納品した商品が見積りミスで240万で売ると30万損することが判った。
目標粗利10%として、24万+損30万=54万を追加で集金して来いと命令されると、ほとんどの社員は「見積書を出してありますから」と言って、集金しない。
追求すると「信用がなくなってしまいます」と言う。ふざけるな。
お前が日頃どれだけ信用をなくす行動をしているか、社内で調べてみればすぐ判る。
お前が客の信用を大事にしている訳ではないことが。信用を言い訳にして、今更追加で金をもらいに行くのが嫌だから、そう言うだけである。

【事例2:上級難度】

甘やかされて育った5才の子供が食事の時いつもケーキとジュースを飲みたがって泣く。
栄養のことを考えると毎日ケーキではと、子供に「ご飯を食べてからよ」と言ってはみるものの、あまりに大声で悲しそうに泣きつづけるとかわいそうな気がして「ケーキ食べたら必ずご飯も食べるのよ。」と言って、結局ケーキを与えてしまう。
自分をごまかしてはいけない。子供が悲しそうに泣くからかわいそうな気がしたのではない。
これ以上我慢させるのが嫌だからケーキを与えたのだ。つまり君は自分がかわいくて、自分の気持ちを優先させたのだ。子供の事なんか一つも考えていない冷たい人間だ。

【事例3:最上級難度】

戦の最前線で槍を持って突進した。隣にいた20年来の幼なじみに流れ矢が刺さって血だらけになって倒れた。彼は泣き叫んで苦しんでいる。君は親友を見捨てて突進していけるか。もちろん、見捨てないで友を肩にかけて戦列を離れるだろう。君は心のやさしい人間だ。それで良い。
だが、大将は次の戦には君を連れてはいかない。君は戦士ではない。戦いは非情だ。
友情を取れば戦士ではなくなる。戦士ではない君とは仕事は一緒にやれないが、人間として一生お付き合いさせて下さい。

第十条 リーダーシップ 自分の気持ちの優先:パート2《花見川店に行くのは嫌だ事件》 第十条 リーダーシップ 自分の気持ちの優先:パート2《花見川店に行くのは嫌だ事件》

自分の店に「頼みにくい」「使いにくい」部下がいたら、何をやらせるにも、まずその部下にやらせろ。
そして言え「おれはお前が苦手だ。お前には命令が出しにくい。命令を出さなければおれの負けだ。
申し訳ないが、自分に負けたくないので真っ先に命令する」と。

【事例1】

千野店長は自分の片腕にしている部下に花見川店の店長をやってくれと命じた。彼女は 「花見川のような地方の小さな店では情報が入ってこなくて時代遅れになってしまうから嫌です。」と言う。
無理に行かせると辞めてしまいそうである。千野店長は相手の気持ちがよく判る優しい男だ。「じゃあ花見川は私とあなたで週3日ずつ交代で店長をしよう。」 人を使う立場の人は命令に従わなければ辞めても結構と言わなければ、相手に見透かされなめられてしまう事を知っている。辞められたら本当は大変困る。
それでも徹底できる人は辞められて困る事より命令に従わない人を作る事を怖れる。

【事例2:上級難度】

何度も訪問したが、なかなか解決できないクレーム客から忙しいさなかに電話があった。
「副店長、悪いが正直屋食堂に俺のかわりにすぐに行ってくれ」店長が忙しいのは誰でもわかっているが、正直屋食堂に行きたくないんだなぁっということはもっと全員がわかっている。ごまかしてもみえみえである。
1回でもそういうところが見えてしまうと全く信用してもらえない。むしろ「1人じゃ行くのが嫌だから、副店長一緒に行ってくれない?」と言うほうが店員はよっぽど救われる。

第十一条 モクスケの法則《目標を持つと何でも出来る》 第十一条 モクスケの法則《目標を持つと何でも出来る》

20年自転車に乗っていても、両手を離しては10mも進めない。「手を離して乗ってみよう」という「目標」を持って乗るだけで、手が離せるようになるのと同様に、生きて行くうえで、人に言われてからするのではなく、自分で「目標」を持って取り組めば、たいがいのことはできるようになる。
困難な目標を持ったらやるべき事はなにかを知り(業務分解)、「作業割り当て」「スケジュール」を立てて今日から実行することで、目標は達成できるようになる。

【事例1】

馬鹿っぽい高校生が両手を離して自転車に乗っていた。私は40年自転車に乗っているが両手が離せない。
彼は自転車通学で毎日学校に通っている道すがら、ふとしたきっかけで手を離してみた。面白がってやっているうちに両手を離して乗れるようになった。
彼と私の差は決して能力ではない。手を離して乗ってみようと思ったか思わなかったかの違いだけである。
もうちょっと込み入った目標は思っただけではうまくいかない。モクスケの法則を使え。

【事例2】

楽天主義・努力を続けると必ず結果が出る
不良在庫を減らしても、粗利予算を達成しても、誉めてもらえない時がある。上司は認めていない訳ではない。
誉めてくれないとか、認めてくれないと言って「いじけて」どうする。君が人を使う立場に立った時、全ての部下の行動をつかめるか?
自分が忙しい時、クレームがあった時、健康を害している時、いろんな事があってつい部下の誉め時を逃がす時がある。
研修審査で学んだ「再挑戦」の意味を思い出せ。
限界に近い力を出して、何度も何度も挑戦した結果、最後には必ず合格したではないか。
これでもか、これでもかと続ければ認めてくれるに決まっている。安心して取り組め。

第十二条 いてての法則 第十二条 いてての法則

従業員に前屈をさせて、手のひらを床に着けさせてみろ。「いてて」と言いながらも練習続けていると、「いてて」の位置がだんだん下がってくる。そしていずれは全員が手の平を床に着けられるようになるものだ。
つまり個人により現状のレベルが違っていてもそれぞれが「いてて」の位置で努力すれば、いずれは目標到達出来るものである。自分の仕事上の「いてて」の位置を見つけろ。無理だよ、やり方が分かりません、やった事がありません、全て「いてて」の位置である。途方に暮れて逃げ出したくなる時が「いてて」の位置だ。
やっと「いてて」の位置まできたのに、そこであきらめたら今までの努力は何だったんだ。ここでやめて凡人は消えていく。抜きん出る為にはもう一回やってみよう。
「いてて」の位置にある仕事に取り組んだ時、初めて能力のアップになる。おじぎを毎日100回やっても1年後に床に手が着くようにはならない。

【事例1:初級難度(環境の変化 その1)】

新卒が入ってきた時、テンポスの店は広くてエアコンもなく、労働環境が悪いからと辞めていってしまう。
エアコンに慣れている人にはエアコンがないだけでいてて。
その人にとっては辞めようかなっと思うくらいでもいてて。
自分が良い環境で育ってきた人はすぐにひいひいひいひい言うやつがいっぱいいますよ。
それはその人にとってのいてての位置である。

【事例2:初級難度(環境の変化 その2)】

一人っ子で受験勉強をしている息子がいる。夜10時くらいに母親が紅茶とケーキを持っていき、「遅くまで頑張ってるね、そろそろ寝たら。」という。息子は、「うん、ママ、もう1時間頑張ったら寝る。」という。
そんなやつを採用したらどうなる。ちょっとのあいだ頑張って上司の顔をみて、上司がほめてくれないのが3日も続くと辞めてしまう。本人がいててだ。
家ではパパやママが見ていてくれたから、ころぶとすぐ「赤チンつけときな。」と飛んでくる。
会社ではいちいち一人ひとりを見ていられない場合がある。その時に本人にとってはその程度でもいててになる。
先輩はつらいことでもそれを乗り越えさせてやらなければならない。それぞれの段階でいてての位置はすぐにくる。

【事例3:中級難度(努力・挑戦レベル)】

とても出来そうもない目標に向かって何回も何回も何日もトライをして、3年も5年も続けてため息をつきながら、「自分は何をやっているんだろうな。」と思う時がくる。それを中級難度という。

【事例4:上級難度(努力・挑戦レベルをはるかに超える人生におけるいてての意味)】

≪人生から人生の意味を問われる≫
人生って何だろう?って考えても何の意味もない。
人生の方から人生って何だかわかるかって言ってくる時がくる。
人生から生きる意味を問われる。
女房子供家族3人で何とか仕事の目途もついて、やっと女房の親戚からも認められて役職もついてささやかな暮らしをしていた矢先、旦那は脳梗塞で半年入院、言語障害と半身不随でリハビリしてなんとか2年位で復帰。
収入は半分になったけれど半身不随でも使ってくれるいい職場に戻ったそんな時、女房が舌癌でレベル4で余命あと半年から1年と言われ闘病生活に入る。
自分の収入ではどうにもならない、自分の親はもういなくてバカにされていた女房の親に頭こすりつけて借金してなんとかなり病院から戻ってくると、中学2年生の娘が家出していない。
10日もしたら警察に呼ばれて行ったら薬かなんかしたらしい。家に連れ帰っても暴れて飛び出す。探し回った暗く寒い夜道で足を引きずりながら警察に向かう親父が、「いったい俺はどうすればいいんだろうな。何の為に生きてるんだろうな。」という現実がある。逃れられないことが矢継ぎ早にやってきてもう死んだ方がいいなってなった時に初めて人生から生きる意味を問われる。そういう時がくる場合がある。
上級難度は、目標に向かって挑戦を続けて身も心もボロボロになる程度ではない。

第十三条 自転車0.99の法則 成功者5段階説の内、成功者第4レベルの人に告ぐ 第十三条 自転車0.99の法則 成功者5段階説の内、成功者第4レベルの人に告ぐ

自転車0.99の法則 成功者5段階説の内、成功者第4レベルの人に告ぐ
自転車に乗れる(1.00)ようにといくら練習しても、もうちょっとで乗れるところ(0.99)まできても、乗れなければ何にもならないのと同様に、要求通りの内容でない、期日を守らない、数が揃わない、約束の時間を守らない等、要求に到達しないと、どんな努力も報われない。自転車のボーダーライン(1.00)は「乗れるか、乗れないか」で判りやすいが、ビジネスのゴールを見つけ出すのは難しい。
自分の仕事で「客に誉められたか、喜んでもらえたか」「上司を納得させたか」敏感に感じ取り、ゴールを見つける努力をしろ。1.01と0.99は、見た目にはほとんど差がない様に思えるが、1.01を100回続けて掛けると2.70となり、0.99を100回続けて掛けると0.36、となるように、「まあ、これでいいか」(0.99)を続けていると、いつまでも目標は達成出来ない。しかも将来この差はデカくなる。

【事例】

10件電話をかけなさい。9件電話をかけました。10件かけるのがボーダーラインである。実のところ、10件も9件も大した違いはない。
ところが10ヶ所鍵をかけて、帰るところが、9ヶ所かけて、1ヶ所かけていないところから泥棒が入った。10やりなさいに対して、9やりました。仕事の中身によっては全く役に立たない。これがボーダーラインとゴールの違いだ。ゴールを見極めることが大事。これを見極めないと黙々と仕事をする人になる。
正確にレジを打つことが目標の場合は長い時間かければ、できるようになる。仕事には長い間勤めていれば、できるようになる仕事も多い。
正確にレジが打てた上で30分で50人処理をできるというのが条件になった途端に、正確に打てるだけの人は用をなさないようになる。頑張っている、努力しているというのは言い訳でしかない。
50人処理して、正確にというのがゴールであるなら、30分で50人処理できるまでトレーニングをするしかない。

第十四条 基本に忠実・変化に対応 第十四条 基本に忠実・変化に対応

基礎を身につけている間は、本を読め、先輩に教われ、決して自分で工夫するな。個性も出すな。技術習得は「400分の1の法則」を思い出せ。未熟者の考えを聞いている暇はない。言われた通りやれ。
3年たっても工夫もないのか、自分の考えも出ないのか、自分は昨年とどう変わったか、何を学んだか。
客は変わる、競争相手は変わる、いつまでも言われた通りやってるんじゃない。そんな人は化石だ。

【事例】

400分の1の法則
西洋医学、4千年前のミイラ作り、これらは人体の解剖から始まっている。6千年にわたってさまざまな実験を繰り返して医学は発達してきた。明治になり人体の解剖をした事のない日本人森鴎外は軍医として10年ドイツで医学を学び、日本の医学生に指導するようになった。科学は4千年で作り上げたものでも10年で習得できる。
400分の1の速さである。先人の作ったものは習得するに限る。新しい技の研究なんかするもんじゃない。但し、習得したことを行っているだけでは発展がない。

第十五条 知ってどうする・覚えてどうなる・できるようになったか 第十五条 知ってどうする・覚えてどうなる・できるようになったか

人を使う立場の者は、来る日も来る日も「訓練」を繰り返せ。知識を身につけても、実際にできなければ意味が無い。冷蔵庫の勉強会で、メーカーの担当者が教える内容は「冷媒のしくみ」などだが、こんな事を客から質問された事が一度でもあったか。これこそ無駄な勉強だ。それよりもお客様に良く質問される項目20問に答えられる様にすることが訓練である。知識2割の訓練8割。これが「テンポス」の教育だ。

【事例1】

店長の仕事の8割は指示、徹底である。指示を出したら結果を見て、指示の出し方を変えるか訓練させる。訓練は出来るまで見本を見せてやらせ続ける。出来るようになるまでやらせないとそれまでかかった時間、労力は意味が無くなる。めんどくさくなっては負けだ。
出来るようになるまで淡々と続けろ。口で言う(命令して)だけで仕事の出来る人はいないと思え。
出来ない部下の事を、「いつも言っているんですが」「口うるさく言っているんですが」といい訳するな。出来るようにさせない君は人を使えない。

【事例2】

頭が良いが、行動しない人へ
新しい人事考課にしようとすると頭が良いが、トライをしない奴は「そんなやり方で公平な評価が出来るのですか。客観基準がないじゃないか」と必ず言う。会社も上司も誰だって公平、適格な評価をしようとしているんだ。完璧、公平、適格な評価がこの世の中にあるか。第一、 君に公平、適格な評価が出来るというのか。
変化に抵抗しているだけなのに、もっともらしい理屈をつけるんじゃない。

【事例3】

ステーキのあさくま 店長会議 人件費が前年対比115%になっている
「売上が前年対比97%なのだから、人件費比率も前年対比100%以下にせよ」
全30店の店長が大騒ぎになり、各店長は人を減らさなくてはいけなくなった。
利口ぶった店長の一人が「15%もパートを減らすとサービスが悪くなってしまいます」
売上に見合った前年の人件費比率に戻せと指示しているだけなのに、社長を脅かすようなことを言う。
商品をもっと品質を上げて、量を増やせと言うと、粗利が下がりますと言う。
人件費を下げて、サービスを良くする。、もっと良い物を出して、仕入れを下げる。
商売というものは利口ぶって行動しない奴らが、ムリと思うようなことを追求することは当たり前で、この40年コンピューターは毎年性能アップし、小さくし、値段を下げ続けた。
カラーテレビは性能アップし、毎年薄くし、値段を下げてきた。
人件費を下げて、サービスを良くするなんて、世界を相手にしている輸出企業に比べれば、楽ちん・楽ちん

第十六条 天ぷらの法則 第十六条 天ぷらの法則

ゴールとは天ぷらを揚げるのには「油を170度にすることだ」3分もあれば、うまい海老天が揚がる。40℃の油に10時間海老を入れたって、天ぷらにあらず。10時間労働した分、10時間分の賃金を払わなければならぬ。油も海老も捨てなければならぬ。ゴールがわからないで、黙々と働くだけの人は会社に損をさせている。働くことが害になっている。

【事例:上級難度(ゴールを見極めるのは難しい)】

インターネット通販事業は尾上の力で5年で月商5,000万になってきた。月商1億、上場に向けて、邁進している。社員3名。
ところがパート12名。パートは月商がいくらか、アクセスが増えているのか、全く知らない。
「尾上、上場するには社員だけでは出来ないぞ。パートを巻き込んでやれ。まず朝礼で全体の数字を伝えて、方向と毎月の変化の状態を伝えろ。」以後、朝礼を続けていたが、1ヵ月後尾上はバカ者と叱られた。毎日朝礼で全体の数字を伝えている。尾上はキチンと伝える為に 朝礼を行うことがゴールであった。
本当のゴールはパートを巻き込み、全体の数字を把握しているかだ。朝礼を見ているとパートは皆んな神妙な顔をしているが、誰も数字に興味がなさそうである。
朝礼が終わってから、2~3人のパートに数字を聞いてみた。案の定、全く覚えていない。聞いてもいなかった。
この1ヶ月、12人×10分×25日×1000円/時=54,000円の損を 作ったのは尾上君である。
こんなことを1年も続けていたら、65万の損だと 思うとゾッとする。

第十七条 使命 第十七条 使命

9月11日、ニューヨーク世界貿易センタービル。テロによるジェット機の突入により上層階が火を吹いて、ジェット機が突入した階から上は、窓から炎があがっている。
エレベーターも止まって逃げまどう従業員が転げ落ちるようにして階段を降りてくる。
逃げまどう従業員とは反対方向に消防署員は進んでいく。部屋に残っている人はいないか、「危険だから避難してください!」と言って階段を登っていく。
この行動で何千もの人が命を救われた。一方で343名の消防署員は命を失った。
この消防署員達を駆り立てたものは何だ?名誉や待遇のような損得ではなく、自分の仕事に課せられた使命である。
我々は一生の間で使命を感じる場になることはほとんどないし、使命という言葉すら使うこともない。

【事例】

子供の命を守る
生まれた子供を健康な精神と健康な身体を持った子供に育て上げる。責任ではない。
使命とは、「己の命にかえても」という重さを持ったものである。
銃を持って立てこもった犯人をとらえる為に命を落とした警官が何人もいる。
山岳救助隊の中には、救助の途中で遭難してしまう者もいる。
救出されたあなたは、どうやって彼らに恩返しをする?どうやってお返しをする?
しようがないではないか。
見えないところでそういう人達に支えられている我々は、せめて自分の働いている仕事を通じてむくいることしかできない。
通り一遍の努力しかしなくて、「無理ですね」などと客に言うんじゃない。