昭和の親父の小言

人のせいにするな、会社のせいと言うな

「予算50万円で社用車を買いなさい。」と指示をされた時、言われたまま車を探すと、「ケチな会社だから、こんな中古車しか買えないよ」と不満が出てくる。
しかし、50万円の予算を与えられたとしても、「よし!35万で車を探すぞ。」と探して、結果、程度の良い30万の中古車を買うことができたなら、その時に出てくる言葉は、不満ではなく、達成感や充実感からくる喜びの言葉だろう。
上司に言われたままやっていると、やらされ感や不満が残り、どうしても、人や会社のせいにしたくなる。しかし、自分で目標を決めて取り組むだけで人生はもっと豊かになる。

今が最低だと思え

仏滅の日に結婚式を挙げてみよ。最低の日に、最低の人と結婚したなと思えば、結婚後は、「この人はこんな事やってくれるんだ」「こんな事も出来るんだ!」と毎日が発見と喜びの充実したものになる。
「ろくでもない会社に入社したな」と思ったとしても、その中で、自分はこんな活躍ができるなと考えれば、今よりも自分のビジネスライフをクリエティブで価値あるものに作り上げていくことができる。その日が最低であれば、これからは良くなることしかない。

何とかなると3回唱えよ

不幸になった時、困り果てた時、「何とかなる」を3回唱えてみよ。
自分の人生を作ろうと、目標に向かい努力したけれど挫折してしまった時、天を仰いでため息をついた時、初めて「何とかなる」を3回唱えると、抜群の効果を感じる。毎日女のパンツを見ても嬉しくないが、一番辛い時に唱える「何とかなる」は、チラッと女のパンツが見れた時と同じだけの絶大な効果を持つ。
つまり、何の手も打たず努力をしていない人が「何とかなる」を使っても効果は無いということ。

戦争反対と言う人を信用するな

日本は、憲法9条で戦争を放棄するという国際社会ではありえない、国としての独立性を疑うような法律がある。そのためか、いかにも平和を望むような人達は「戦争反対」というフレーズを多用するが、「〇〇を反対」という言葉を使っていいのは、「○○に賛成」と言う人がいる場合に限る。「戦争賛成」という人がこの世にいるか?
だから、「戦争賛成」なんて言っている人がいないのに、自分は平和主義者だというような顔をして「戦争反対」なんていう人を信用するわけにはいかない。「万引反対」「泥棒反対」「人殺し反対」、これらを言う人と同じレベルである。

女の言う事は聞くな

女は男が考える以上にしたたかだ。奇麗な顔で生まれた女性は、男が勝手に寄ってくるから、かわいい声を出してお願いすれば男は何でもやってくれることを知っている。さらにしたたかな女性は自分の泣き所を知っている。
日頃、男はめったな事では泣かないから女性が涙をぽろぽろと流すと、よっぽどの事が起きてしまったのだと慌てふためいてしまう。しかし、女性の涙というのは、思わずプッと屁が出るのと同じくらいポロっと出てくるものなんだ。だから、一回一回、女性の言うことを真に受けて聞いてはいけない。女性が泣いたなら屁が出たんだと思えばいい。
こんな事を言うと、「女性の意見は取り上げなくていいんですか!」と怒る人がいるが、それは戦争反対と言う人と同じレベルだから相手にしない。

子供に美味いものを食わせるな

子供を育てるときは、社会のルールを教えて躾をしなければならない。
寿司屋に行くと、子供にトロやイクラを食べさせる親がいるが、子供は料理の良し悪しなんて分からないんだから、一皿100円のかっぱ巻きで充分である。そして家族みんなで「美味しいね、美味しいね」と言えば、「かっぱ巻きって美味しいね―!」と言える子供に育つ。外で筋の入った肉が提供されても、「美味しいね」と言って、肉は固くても美味しいということを子供に教える。そうすれば、その子供が大人になり霜降牛を食べたときに、「いや~、世の中にはこんなにも美味しいものがあるんだ」と、感動させてあげることができる。
5才、10才で霜降牛を食べてきた子供は、大人になって高級肉を食べたってそんなに感動はしない。そんな子供に育てたいか。味の違いが分かる子供に育てないといけないなんて心配する必要はない。

責任を持ってやりますと言うな

真面目に仕事をする事が大事だと考えている人は、上司から何かを頼まれた時に「責任をもってやります」と言う。
しかし、その人にとっての「責任」とは、言われたことをきちんとやりますという意味であり、「毎日、10箇所に鍵をかけて帰りなさい」と指示を受けたなら、「毎日」「10箇所」「鍵をかける」、この3つのキーワードをきちんとやりさえすれば、責任を持って仕事をしたことになる。

しかし、戸がガタガタしていて、今にも風が吹いたら鍵が取れてしまいそうな状況になったとき、戸を修理する作業は「責任を持って仕事をする」の範囲外になるから、戸を修理するという事をやらない。だから、「責任を持って仕事をやります!」なんて部下から言われると、「責任もってやるだけでどうするんだ」と俺は呆れてしまう。

もし、上司から指示を受けたなら、「お任せください」と言ってみよ。
「お任せください」というのは、「何があるか分からないけど、指示されたこと以上の不測の事態が起きたときは何とかします」という事である。「責任を持ってやります」の期待値は、言われたことを100%やることだけだが、「お任せください」はこいつに頼むと安心だ、と思わせるほどの評価に値する。

見込みのある人には辛いことをさせよ

先に述べると「見込みのある人には辛いことをさせよ」という、この教育法則は万人には当てはまらない。
大部分の人は、「見込みのない人」だから、そんな人に辛い事させるとほとんどが逃げていってしまう。今の日本は、匠を育てるという気風がないために、師たるべき人が、おっかなびっくり弟子を使うから、何年経っても弟子は匠には育たない。だから、もしあなたが管理職や経営者なら部下(弟子)なんて育てなくていいから、まずは自分を鍛え上げて、自分が極めるという道を進むべきである。そして、たまに、見込みのあるやつがいたら神が与えてくれた宝だと思って、次からその弟子がやっと乗り越えられるような課題を与え続ければいい。そうすれば自分の部下を匠に育てる事ができるだろう。

自分らしく生きるとは

人は、自分の思いや考えを大切に自分らしく生きていきたいと思う一方で、他人と自分を比べて、人を羨ましく思ったり、自分を良く見せようと取り繕う生き物である。
例えば、部下が失敗して損害金50万円を支払う事になったとする。それを、店長は自分の責任として会社に報告する前に、その部下の出した損害金を立て替え、会社に損を発生させないようにした。部下の不始末だからと自分を犠牲にしてまで責任を取るという姿勢は、「責任の取り方」においては100点に値するだろう。(内容によっては「そうか、お前が償え」という会社ではいけないが)。
責任を取るときの考え方として、どんな不始末を起こしたかを会社に報告し、公にした上で自分はこんな責任を取りたいんだという意思を通すのは、一つの「自分らしさ」と言える。

しかし部下のため、会社のためにと自分が損害金を立て替えたとしても、その事を会社に報告しなかったり、内容をごまかして報告する等、取り繕うようであれば、それは「自分らしさ」では無い。自分の意思で行動するという点は同じであるが、自分の都合や立場、損得を優先させて行動することは「自分らしい」ではなく「自己中」である。「自分らしさ」と「自己中」は似ているが、「自分らしさ」という言葉は、自分の行動をごまかしたり、取り繕うときに使う言葉ではない。

ブランド物を見せるな、有名人の名前を出すな

自分を良く見せたいためにブランド品を集める人がいるが、「高いもの持っているんだ。すごいね」と思われたいために集めているのであれば、それはただの愚か者である。兄弟が医者だ、弁護士だと話す人、有名人の名前を出す人も同じだ。
自分はこんなすごい人と知り合いなのだと自慢するのは、自分を良く見せたいと取り繕っているからだ。「素敵なシャネルのバッグね」と言われたなら、「ありがとう」とだけいっておけばいい。

人を羨んでしまう人は、自分はどんな人間かを知る必要がある。
「自分らしさ」を持っていれば、給料が低くても地位が低くても自分を取り繕うこともなくなる。そして、「自分らしさ」をいつも心掛けていると、豊かな生き方が出来るようになってくる。それが出来るようになると、人を羨むという事も無くなる。

くだらない事で褒められたらそれが自分のレベル

人間にもいろんなタイプがいる。何も努力をしないタイプと、目標に向かって努力するタイプだ。
大半の人は前者に当てはまるが、後者のタイプは努力や挑戦の動きをすることで、自分らしく生きる“グレード”が高くなっていく。グレードが高くなることで、人からくだらない事で褒められたりすると、「あんな事で褒められているようでは、自分もまだまだだな」と思うようになる。
努力をしないタイプは、くだらない事で褒められても嬉しくて、それが今の自分のレベルだという事に気付かない。

知らなかった・なるほど・そうだねと言え

自己主張する時に、他者肯定ができない人がいる。相手が何かを話した時に、すぐに「そうだね」と言えない人だ。
「一泊二日で富士山に登ろうよ!」と話が出た時、「膝が痛いから」とかケチを付けるくせに、結局は山登りに参加する、そんな人が周りにいるだろう?その人は対人関係において「自己否定」のスタンスで生きているから、良い人間関係を築くことは出来ない。

だから、人との会話では「そうですね」と言うに限る。「桜が咲きましたね」と言われたなら「そうですね、花見をしたら気持ちいいでしょうね。皆さんでやりませんか?」というように、相手の話を肯定し、なおかつその気にさせるような言い方をすることで、一歩進んだ人間関係を築いていくことができる。
これができれば、相手を思うように動かせるようになり、自分の人生をより豊かにしていくことだって出来る。

辛い出来事は神様が自分を試していると思え

辛いことが起こった時、当人にとっては一大事のように感じてしまうものだ。しかしその時に、自分を励まし前向きに考えられる人と、逃げたり自暴自棄になってしまう人がいる。
なぜ、そんな違いが出るかというと「閾値(しきいち)」という人間が持つ感度のコントロール方法に関係しているからだ。閾値とは「辛い」「嬉しい」等を感じる感度の値のこと。付き合っていたカップルの男が彼女と別れていつまでも寂しいとくよくよしているのは、「寂しい」という感度が高すぎるからだ。

では、どうすれば「辛い」という感度を下げる事ができるのか。その一つが、「神様が自分を試している」という考え方だ。
辛いできごとが起きた時に神様が自分を試していると考えることで、「こんな事でクヨクヨしても仕方ないな」客観的に自分を見ることができるし、辛いという感情も和らいでくる。幸せになる人、成功する人というのは、幸せになる、成功する選択をしている。
自分を客観的に見て励ます力をつけることで自分が選択する行動も変わり、幸せな人生を送る手助けをしてくれるんだ。

100%こちらが悪くても頼んですがってでも集金しろ

テンポスを起業する前に食器洗浄機メーカーを経営していた時の話だ。有名私立大学に飛び込み営業して1千万円の大型食洗機を受注した。
しかし、いざ納品してみると、50㎝サイズが大きくて設置ができない。納品先の課長は激怒した。しかし、今さら寸法を小さくすることなんかできないと言うと、課長は作り直せと言った。でも、1千万もする洗浄機をタダで作ればうちの会社は潰れてしまう。
100%俺が悪いのは分かっていたが、作り直すことはできない。だから責任を取りようがなかった。

それでも集金できなければ俺の会社は潰れてしまう。夜明けとともに学校に行っては頭を下げ、空いている時間は食堂で働く人と一緒に食洗機に皿を入れる作業をした。時間が少しでも空けば、また課長のところに行きお金を払ってくださいと頭を下げた。そのたびに、怒鳴られたが、帰るわけにはいかないので「はい、すみません」とだけ答えて頭を下げ続けた。そんなことを続けた40日後、口座に1000万振り込まれていた。

生きるか死ぬか、のるかそるかの時に「責任を取れ」と言われても取りようがない場合がある。
相手も「責任を取れ」と言いながら、こちら側が責任を取りようもないことが分かっているから怒っている。だから会社が潰れてしまうかという瀬戸際の時は、許してもらえるまで相手が怒鳴り疲れ果てるまで待つしかない。1%でも可能性があるなら、社長はすがりにすがってでも集金しなければならない時がある。

貸したことは忘れろ

「オレを信用して金を貸してくれ」と言う人は、100%信用できない。信用できる人は、信用してくれなんて言わないからね。
それなのに、信用してくれと言われたから信用して金を貸したのに返してくれないなんてと声を張り上げている人は愚か者である。

大切な友達にお金を貸して返ってこない時どうするか。その時は、返すと言った友達が返せないということは、よっぽどのことがあったんだな、返せないというのは辛いよな~と考えて、一切相手を攻めてはいけないよ。貸したという事を覚えていると、友達に嘘をつかせてしまうということになるから、貸したことは忘れた方がいい。

騙されたのは自分が悪い

オレオレ詐欺というのは、金を持っているから、もっていかれるのである。
「それはお前の金か?それともあっちの人に渡す金か?」と神様がテストをしているんだ。お金は自分の老後のためにと貯めていても、その金は逃げようとする。自分のためではなく、誰かのために、世の為に使っている人からはお金は逃げていかない。オレオレ詐欺に遭ったとしても、金が無ければ金を渡さないよね。だから、あなたのお金ではないものを、「俺」の金だという人にお金を渡すから「オレオレ詐欺」というんだよ。

覗く分には良いが、盗撮はよせ

覗かれて良い気分の人なんか基本的にはいないはずなんだけど、稀に、口ではワーワー文句を言ってはいても覗かれて喜ぶ人がいる。
「まだ私も覗かれるのね」と、気分を害するどころか、やる気を出させることがあるからだ。だから、覗く場合は客層を絞ろう。その絞り方については大っぴらに話せないので、どうしても知りたい人は個別に連絡をください。でもひとつだけその前に、盗撮はリスクが高いからやめた方がいい。

努力したって結果は出ないが、それでも努力する

飲食店が一生懸命頑張ったからと言って売り上げが上がらないのと同じで、努力しても報われない世界に俺たちはいる。
「今月はこうしよう」「来月はこうしてみよう」、そんな試行錯誤を繰り返して見つけた“お客さんが喜ぶこと”が出来て初めて、ようやく今までの努力が報われる。努力しても報われないのは、その努力の方法が間違っているときだ。
でも、正しい努力が見つけるにはとても時間がかかる。だから、大抵の人は報われる前に途中で諦めてしまう。

徳川家康は、人間の一生とは、重い荷物を背負って坂道をのぼるようなものだと言った。気を抜いたらザザーッと下に落ちてしまう。
だからといって荷物を降ろすわけにはいかない。重い荷物を持って坂道を歩くのが人生なんだから。そこには、報われるとか、報われないとか、そんな次元の話ではないよ。だから天下人の家康と比べると、俺なんてまだまだ甘いよね。

儲かってもいないのに、人類と地球環境の心配をするな

二宮金次郎が殿様の命令でいくつもの村の再建に行った時、村の豪農や豪商を集めて、「お前らは馬糞に生えてくる糞茸だ」と言っていたそうだ。
続けて、豪農や豪商に「お前らは、村の貧乏人がぺこぺこ頭を下げるから自分が偉いように感じているようだけど、その財産はお前が稼いだものではない。ご先祖が稼いでくれた財産だろ。たまたま裕福な家に生まれただけで、お前達は何も偉くはない。それなのに、もっと自分の財産を増やそうと思う精神が糞茸なんだよ」ってね。
そう話したうえで、不自由なく暮らせる資産があるなら、その資産を貧乏人や村に役立つようなお金の使い方をしないといけないと説いたそうだ。

二宮金次郎の言う「糞茸」とは、充分な財産や恵まれた環境があるにも関わらず、自分だけが幸せになることを考えている人の事である。
会社の規模も大きくなって充分な資本のある会社の社長が「糞茸」だったら悲惨だよ。
だから、二宮金次郎のように従業員のためや、お客様のためといった「利他の心」をもって経営することは大切なことだ。

しかし、実際は「自分だけが生き残ればいい」というくらいの気概を持って仕事に取り組まなければ、会社が大きくなる前に競争社会で負けてしまう。
だから、会社が儲かってもいないのに飢餓や地球環境問題を心配したり、利益もろくに出せていないのに社員を幸せにするとか、きれいごとを言っている社長は競争社会で生き残れない。会社が成長して充分な資産が出来るようになったなら、そこで初めて従業員のため、お客様へのためにと還元していってくれ。
そうなって初めて社員も幸せにすることが出来るようになる。

うちの会社もずっと「ブラックテンポス」なんて言われてきたけど、経常利益20億円をこえることができたので、これからはお客さま、従業員にどんどん還元していきたい。

顔の良い人と付き合え

顔が良い人というのは、コミュニケーションを取るときに、「あなた頑張っているね」「大丈夫なんとかなるよ」、こんなプラスのストロークの投げかけをすることが出来る人だ。
プラスのストロークをすることで、笑顔も自然と出るし、周囲に感謝できるようになり、いい人間関係が築けるようになる。プラスのストロークをすることで、一日一日がプラスになっていく。仕事ではどんどん成功に近づいていくし、生活面では良い人と結婚して明るい将来を築いていけるだろう。
つまり「顔の良い人」とは、木村拓哉のような色男と付き合えと言うことではなく、プラスの投げかけや態度をとる人達と付き合えという意味である。会社の中でマイナス思考な人、いつも悪口を言っている人の顔というのは、どことなく歪んでいってしまうから気を付けてな。

ありがとうを日に三回言え

一生懸命生きているうちは、「ありがとう」と感謝の気持ちを言葉にすることまで気が回らない。ましてや、人のせい、何かのせいにするような人なら、感謝の言葉など出てこないだろう。しかし、「ありがとう」は自分の人生を作る上でも、社会人として人間関係を築いていくうえでも大切な言葉である。

俺が育った田舎町では、生ごみは落ち葉を混ぜて堆肥をつくっていた。俺は生ごみの入ったカゴを背負って畑に捨てにいく役目だったんだけど、そのカゴから汁が垂れて服に臭いが付くんだ。それがたまらなく嫌だった。

それが、今は、生ごみは道路の脇に置いておくだけで誰かが持って行ってくれる。俺からしたら本当にありがたいことだ。だから、感謝の手紙と3千円を入れた封筒を3つ用意して、ごみ箱の蓋に貼り付けることにした。「今日は勤労感謝の日です。いつもごみを持って行ってくれてありがとう」と。

これは単なる自己満足だけど、感謝する気持ちを行動で表すようにすると、いろんな事に対しても、ありがたいと思えるようになってくる。目の前で起こった出来事に対して、ありがたいなと思うことは、何事にも感謝の気持ちを持つためのトレーニングなんだよ。

ものを欲しがるな

兄弟の末っ子というのは始末が悪い。泣けば親が何でも買ってくれると思っているから、こらえ性が無い。
物を欲しがる人もこらえ性が無いという点ではほとんど同じだ。大多数は、「次はあれが欲しい、これが欲しい」と欲望に際限がない。常に飢えているというか、渇望状態の中で生きているから満たされた気持ちになれない。しかし、物というのは手に入れても欲望を満たしてくれるものではないからだ。
だから、物がなくても自分で幸せを見つけられるような生き方をした方がずっと幸せになる。

女房のご機嫌を伺え

「女の言う事は聞くな」と言ったけど、「女房のご機嫌を伺う」のも大事だ。女というのはその場の感情でものを言うから、まともにとりあっても仕方がない。
つじつまが合ってないことも多い。喧嘩をすれば旦那が言い負かしてしまったりするけど、1人しかいない女房を言い負かしたとしても、旦那は嫌な気持ちになるだけだ。そんなことなら「女房が大将。あんたが正しいというならそれが正しい。」そう言って嫌な気持ちにならないようにした方が幸せだよ。
だから、女の言う事は聞かないけど、ご機嫌は伺わないといけないということだ。