全社員へ2023年07月11日
テンポスはブラックかって?ああ、そうだよ。それがどうした!「ブラック企業」という言葉が流行語大賞のトップ10に選ばれたのは、2013年のこと。割と新しい言葉なのだ。もともとは、急成長しているITベンチャーのプログラマーなどが、寝食を忘れてプロジェクトに没頭しているような状況を、自虐的に表現したネットスラングだったそうだ。流行語大賞以降は、マイナス面のイメージしかない言葉になってしまったが、以前は、未来のために理不尽なまでに働くことを受けいれていることを示す言葉でもあった。そう考えると、1000億円企業を目指して急成長をしようとしているテンポスグループも、まさに「ブラック?」状態なのではないか? 森下社長、テンポスって、もしかしてブラック企業なんですか?
そりゃね、うちのポリシーは百姓テンポスだから。
百姓は、炎天下で種をまいて、水をやってと、過酷な労働環境のわりに、水のやり方が悪くて枯れてしまったり、ダメになるリスクが大きい。たまに豊作になっても、せいぜい1.2倍程度にしかならない。予想外にダメになることはしょっちゅうなのに、予想外によくなることはほとんどない。うまいことやって一発当てたいと思っているような奴には、そりゃあブラックだろ。
でも俺は、百姓テンポスの説明をした後に必ずこうも言うんだ。いまは報われないように思っても、額に汗して働いていれば、いずれびっくりするぐらい儲かるときが必ず来る、と。
本当の優しさは、厳しさの中にこそある
いま、テンポスは経常利益が3年連続で10%超えた。賃金を50%上げる方針を役員会で決定した。賃金を少し押さえて週休3日という働き方を選べるようにもする。俺は、働き方改革を10年も前から考えていた。いずれ来るびっくりタイムに備えていたんだ。だから、未来のために、いまはちょっと我慢して頑張ろうよと。
新入社員たちにテンポス道場の門弟だと思えと言ってきたのも、みんなに大きく育ってほしいからだ。門弟と言うのは、朝早くから道場にやってきて、師範代が来る前に、道場の掃除をして、お茶の準備もして待っている。しかも訓練が始まったら、ひたすら素振り。1000回振れと言われたら、黙ってやる。いつまで素振りをやればいいんですか? 型はいつになったら教えてくれるんですか? などと質問しても、木刀で小突かれて終わり。門弟に質問は許されない。名人の指導を受けられるんだから、ありがたいと思うべき立場なわけだからね。
つまり俺は、黙って素振りをしているような奴じゃないと、プロの人材にはならない、そう言っているわけだ。厳しい訓練の後は、必ず上達と言う道が待っているのだから。
労働環境や労働条件などに気を使いすぎて、楽なことばかりやらせても本当の力はつかない。だからテンポス道場では厳しく鍛える。
厳しい指導といじめは、一見同じように見える
どちらも、本人にとっては嫌なことをやらされるからね。でも、厳しい指導といじめは全然違うよ。指導者は、弟子の成長をしっかり見守る。いじめは、そんなの関係ないからね。
だから厳しい指導をする師範代は、弟子の成長を感じると本人以上に喜ぶ。そのために厳しく指導してきたのだから、そりゃ嬉しいよね。テンポス道場の師範代も、門下生がプロに近づいてきたことが垣間見えると、見えないところで泣いて喜んでいるよ。
「ただの優しさは、何も優しくない。障害にしかならない」と言ったのはイチローだ。本当の優しさは、厳しさの中にこそあるんだ。
子供が転んでも俺は起こさない。自分で起き上がるのを見守る。いくら泣いてもいいから、待っているから自分の力で立ってみろ、と言ってそばで見てる。泣いてる子供をほったらかしているのだから、傍目には冷たく見える。起こしてあげるのが優しさだと言う人もいるだろう。でもそれでは子供は成長しない。
ここで起こしてあげるような親は、実は泣いてかなわんから起こしただけ。周りの人になんと言われるかを考えて、恥ずかしいから起こしただけ。そんなの優しさでもなんでもないよ。子供のことを思うなら、厳しく接して成長を見守ることこそが優しさだ。
新卒研修80キロ歩行がブラックと言われる
俺は、世間が何を言って、どんな批判をするかなんて、そんなことは気にしない。アホな奴らが、あそこはブラックだと言っても、俺は胸を張って、「ああ、そうだよ、それがどうした」と言ってやる。
テンポスは、新入社員の研修で80キロ歩行をやる。この行事があることでうちをブラック認定しているネット記事を見たことがあるが、これはテンポス道場の最初の試練でもある。だから彼らが「なんで80キロ歩行なんてやるんですか?」と聞いてきたときには、こう答える。
「夜通し歩いていれば、答が見つかるよ」と。
中には、歩き終わった後に俺のところへ来て「答が見つかりません」と言ってくる奴がいる。そんな奴には「いつか見つかるから、楽しみにしとけ」と言って終わり。
道場の修業に理由を求めてはいけない。そもそも素振りをする理由なんて未熟な門下生にわかるわけがない。だけど黙ってやっていれば、成長してプロに近づけば、その答はきっと見えてくる。それを自分で見つけることが修行なのだから。
テンポス道場の門下生たちよ、日本男児であれ
俺はね、学歴の価値は、友達が遊んでいるときに、自分も遊びたい欲望を抑えて受験勉強したというところにあると思ってる。
そういう意味では「育歴」には学歴と同等、いやそれ以上の価値があると思う。育歴とは、その人がどう育ってきたかということ。たとえば小学校5年のときに親父が死んで、小学校3年と1年、幼稚園児の3人が下にいて、朝早く仕事に出かけるお母さんの代わりにずっと下の子の面倒を見ていたなどという経験は、立派な育歴だと思う。
放課後、友達が遊んでいるときに、自分は早く帰宅して、洗濯したり、掃除したり、炊事の支度したり、母親が少しでも楽できるようにと家事をする。高校は行きたかったけど、そんなことは一言も言わずに中卒で働きに出る。
同じ我慢でも、受験勉強と言う自分のための我慢ではなく、弟や妹、母親のための我慢なのだから、その価値は全然違う。学歴にすれば、東大出てハーバードも出たぐらいの価値があるんじゃないか。
昔、まさにそんな育歴を持つ女性がうちで働いていた。中卒だから、ときどきバカなことを言うんだけど、とても頑張っていた。中卒で働き始めたから、勉強する時間がなかった、常識がなくてごめんなさいと俺に謝ってきたことがある。だから、俺は東大卒よりもすごい育歴を持ってるんだから、胸を張れ、と言ったんだ。そのとき彼女は30歳を過ぎていたけれど、目に涙をためて、自分がやってきたことを人に認められたのは初めてだと喜んで、さらに仕事に励むようになった。
厳しい環境は人を育てる。苦労は買ってでもしろ
金持ちで育った奴はかわいそうだと思うよ。自分の努力でもないのに、ちやほやされて、もてはやされちゃう。これはマイナスの育歴だよな。一つもいいところがない。
がまんする経験や苦労を乗り越える経験をどれだけ積ませるかは、人を育てるときに大切なことのひとつだ。上っ面のやさしさは教育の場には必要ない。
俺も子供の頃に、親父の手伝いで百姓をやったことは、自分の糧になったと思っている。当時は苦労だなんて思いもしなかったけどね。
たとえば、冬に麦踏みと言うのをやる。1月、2月頃、麦の青い芽が出てくるんだけど、ほっとくと霜柱で根が上がっちゃう。だから、上から踏んで根を押さえつける。これ、靴を履いていても足がものすごく冷たくなる。凍ってるところを踏むからね。やだなと思ってもやらないわけにいかない。麦が枯れちゃうから。
草刈りして、その帰りに草を背負った姿で、通っていた中学校の横を通ることがある。クラブ活動でグランドにいる友達にその姿を見られるんだ。つぎはぎだらけの汚れた百姓着を着ているところを。あんまりみすぼらしいから、友達も声をかけてこない。だけど恥ずかしいとか思ったことは一度もない。それが日常だったからね。
そんな経験があったからこそ、俺は働き者に育った。苦労をいとわない、大変なことから逃げない人間になれた。
世の中には、早く仕事をやめて、遊んで暮らしたいと言う人が多いけど、俺はそんなこと思ったことがない。
今でも、週に1回はお店に行って、1日に3店舗廻って、現場を見て、スタッフと直接話すことを習慣にしている。だから株主総会でどんな質問が出ても、事細かに答えられる。これもガキの頃に、労を惜しんではいけないことをたたき込まれたから。
今はいい時代になった分、俺が経験したようなことを子供時代に体験しない。厳しさを克服して成長していくことを家庭で教えられない。だから、大人になってから会社が教えているんだ。
これから、あさくまとバスターズは海外戦略が視野に入ってくる。俺は、海外に行かせる人材は、日本男児でなければいかんと思っている。日本男児は多少の苦労や理不尽があってもそれを人のせいにしたりしない。大切なものを守るための命の捨て所も知っている。行くからには、海外の人たちに日本のサービスはここまでやるのかよ、ということを教えなくてはいかん。日本のサービス、ここにありという気概を持って仕事してほしいんだ。
テンポス道場の門下生たちよ、日本男児であれ。